「パリ6区」は12年目の春を迎えます。

芦屋の地にアンティーク雑貨のお店を出させていただいて、はや12年。
これもひとえに皆様方のおかげであります。
裏通りの裏手にある目立たないお店に、わざわざ足を運んでいただいていることに感謝の言葉しかございません。
裏の裏は表のはずなのに…裏の裏は結局、裏ですね。

お客様には「隠れ家的なお店で素敵ですね」と言っていただけますが、やはり表通りに憧れます(笑) そんなひっそりと営業をしているものですから、「どうしてパリ6区という店名なの?」と聞かれることがあり、12年目を迎えながらも、まだまだお客様に伝えきれていないな~と思うことが多々ありますので、今更ながらではありますが、お店の話をさせていただきたいと思います。

いざ憧れの地パリへ!

もともとアンティークやブロカントなどの古いものが大好きで、ヨーロッパに行くたびに蚤の市やアンティークフェアーなどに足を運んでいました。
そしてついに憧れの地フランス「パリ」に行くことが決まった日、頭の片隅に残っていた記憶が目を覚ましました。
それは私に多大なる影響を及ぼした叔母の存在でした。
私の叔母はパリに住んでいたという記憶でした。

どこに住んでいたんだろう…?

幼きころの記憶なので場所までは覚えておらず家族中に聞きまわりました。
そしてやっとの思いで「パリ6区」ということが分かったのです。
私はルーブル美術館やシャンゼリゼ通りでもなく迷わずパリ6区に向かいました。
そこはセーヌ川の左岸エリアのカルチェ・ラタンと呼ばれる学生街で有名な地区でした。
「この街に叔母が住んでいたんだ!」と思い、街中をくまなく歩きました。
オデオン座やパリ最古の教会サン・ジェルマン・デ・プレ教会をはじめとした歴史ある建造物に圧倒されました。
そして何よりも心動かされたのは街のお店の数々でした。 オーナーの趣味で集めたフランスだけではなく色々な世界のアンティークやブロカントのお店。新しいものと古いものがミックスされた素敵なライフスタイルショップ。反して一点主義の専門店など。それは日本ではあまり見ることのないお店のカタチでした。流行や主流に流されないお店でいいんだと、私の心を自由に解き放してくれた瞬間を今でも忘れられることができません。

あの街に佇むお店のように

いろいろとパリ6区のお話を書きましたが、実は店名を決める際3つの候補があったんです(笑)
ストレート過ぎるかなと少し悩みましたが…ほんの少しですけどね(笑)やっぱり心動かされたあの街にあるようなお店にしたいと思い「パリ6区」とさせていただきました。
私が感動した同じ思いをお客様にも感じていただけれるようなお店を、これからもつくっていきたいと思っております。
アンティークやブロカントを中心に、古い新しいに拘らず、私たちが素敵だなと思うさまざまな世界のものも取り揃えていきたいと思います。

今後とも「パリ6区」をよろしくお願いいたします。